トップインタビュー「私たちは、人材教育会社」――人の相談からさまざまな事業を生み続ける経営者が北千・・・

2020.02.04
「私たちは、人材教育会社」――人の相談からさまざまな事業を生み続ける経営者が北千住にいた。

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株式会社CAN 
代表取締役 植村 昭雄さん

北千住を中心に整骨院や飲食店、インターネット放送局などさまざまな事業で活躍する株式会社CAN代表取締役の植村昭雄さん。大手専門学校での仕事を経て独立し、休む間もなく幅広く活動に関わられています。そんな植村さんは、要望を一つひとつ解決していくうちに仕事として活動の幅が広がっていったのだそうです。
専門学校の勤務時代に、周りの勧めで講師の仕事を始め、ご本人曰く”成り行き”で会社を設立することになります。仕事の業種にこだわりを持たない植村さんは、さまざまな人とのご縁から人生が変わっていったと言います。多角的なビジネス展開の成功のポイントや、先行きが不透明な今の時代に、どのようにして楽しめる仕事に出会い、道を切り開いていくのか。そんなヒントを探るべく植村さんのお話を伺いました。

自分のこだわりよりも、ご縁があった人からのニーズに応えたい。

まずは事業概要を教えてください。

代表を務める会社CANでは、簿記・財務分析など企業研修・社員研修の教育サービスに始まり、都内に整骨院7店舗、インターネット放送局「Cwave(シーウェイブ)」、足立経済新聞、東北をテーマにした飲食店「東北うまいもの酒場プエドバル」、昨年は古民家をリノベーションし「東北カフェ&ダイニングPOSSO(ポッソ)」と「千寿てまり工房」の運営などを手がけています。

%e6%a4%8d%e6%9d%91%e3%81%95%e3%82%931植村さんの豊富な経験から、次々と飛び出す話に引きこまれていく。

業務は多岐にわたりますが、なぜ、創業に至ったのでしょうか?

そもそもサラリーマンの仕事が大好きで、起業の「き」の字もなかったんですよ。大手専門学校・大原簿記学校に勤め、講師やカリキュラム作りの業務などを約12年経験する中で、30歳を機に「次の道を探そう」と、仕事は続けながらも税理士試験の勉強を始めました。その頃に、ある同業の専門学校の講師に急きょ欠員が出てしまい困ってることを知り、善意で1回限りのつもりで手伝ったのですが……。
その職場で困っている方がいたので、何気なく手伝いを続けたところ、結果的に受け皿となる会社が必要となったのです。当時、株式会社を作るには設立資金が高く、まずは有限会社CANとして創業しました。資格講座のカリキュラム設定や教材づくり、講師集めを行うところからスタートでしたね。それからは、もう無我夢中で、大手の企業研修をメインに教育プログラムを作成し、企業や行政の新人・管理職研修や大学講師も行いました。

商売は経理が重要です。経営が立ち行かなくなる原因の大半が資金繰りなので、企業研修では財務研修や計画プランの立て方を教えるなどして、お金の見方を伝えていました。講師としての活動をこの研修の仕事で活かすことができたんです。

なるほど。ただ、創業のきっかけは突然な感じがしますが……。

そうなんです。創業だけじゃなく、今まで行なってきた事業はすべて、人から突然いただく社会的なニーズのある話に応えているだけなんですよ。自分からはまったく事業を広げるつもりはなかったので。

例えば、飲食業にしても、当社事務所のあるビル1階の飲食店の経営が上手く行っていないことを知り、これも人助けと思い物件の借り入れを決意しました。利益を出すのが難しい業種なので飲食ビジネスをやろうとは今までに一度も考えなかったのですが、協力者が集い、「東北うまいもの酒場プエドバル」を出店することになりました。開店当初の半年間は厳しい状況が続きましたが、人のご縁ではじめた「梅酒100種飲み放題」が影響力のあるインターネットニュース記事に取り上げられて集客につながるなどのラッキーもあり、徐々に黒字化していくことができました。

すべて相談から始まる、アイデアの具現化が面白い。

特に気になる事業の1つ、インターネット放送局「Cwave」の成り立ちについて教えてください。

背景の1つには、事務所のある北千住駅があります。1日の乗降客数が世界第6位の大型ターミナル駅です。大学も5キャンパスあり、また江戸時代には交通の要所・宿場町として栄えました。そんな歴史や地の利があるにもかかわらず、知名度は低いのが実情です。

そこで、近隣の大学祭のステージ企画の手伝いもしていた関係から、まずは学生たちと地域の人をつなげられる面白い活動をすれば、北千住に興味を持ってくれるのではないかと考えたんです。1年間限定でワークショップや食事会のイベントを年間20回くらい、毎週日曜にはビジネス研究会を開催しました。最終回にはビジネスプレゼン大会を行い、それまでに多くの、多才な地域の方ともご縁ができました。

そのプレゼン大会を行う頃に、足立区でFM局を立ち上げたいという人から連絡がありました。また同時期に、当社ビルの7階が空くことになり、借り手を探しているタイミングでもありました。そこで周囲の仲間に呼びかけたところ、番組で話をしたい人が名乗りを上げてくれました。さまざまなタイミングが重なって、2013年7月から放送局「CROSS WAVE☆SENJU」を開始し、2年後に現在のインターネット放送局「Cwave」となりました。また、今の時代はYouTubeやTikTok動画など視覚メディアが中心ですが、聴覚だけのメディアであるラジオを再評価して「Jラジ」というインターネットラジオを開局し、面白い仕掛けを始めているところです。

%e6%a4%8d%e6%9d%91%e3%81%95%e3%82%932植村さんの豊富な経験から、次々と飛び出す話に引きこまれていく。

社会問題にもあるように、どんな事業を始められるにも必要な人を集めるのが大変だと思いますが、うまくいくポイントはありますか?

本当に運がいいんです。目の前になぜか、必要な時にその人が現れるんですよ。例えば、防災の企画をしようと思うと、防災士さんから電話が入ったり、昨日は「千住プロレス」を足立区に作りたいと思っていたら、フラっとこの事務所へ社会人プロレスラーが現れたり(笑)。ラッキーとしか言いようがないです。

引き寄せているんですね。なぜ、こんなに多くの事業ジャンルをされてるんですか?

実は、私がはじめにやりたいと考えたビジネスは1つもなくて。今でも経営者ではなくサラリーマンに戻りたいと思っていますから(笑)。営業をかけたということもなく、すべて「できないか」と相談されたところからのスタートで、それを皆さんのお力を借りて実現してきた結果です。性格としてはゼロイチが好きで、アイデアを具現化するのが面白いんですね。システムを作ることができたら、次への興味へとすぐ移っていきます。

なぜ社名を「CAN」にしたのかといえば、「話をいただいたらどんなお仕事でも『はい』と言えばいい」との思いからでした。私は財務系が中心の専門学校での仕事経験から、業務全体を見てバランスの取れた仕事環境を作るのが得意で、逆にいえば特定の仕事のスペシャリストではないため、特に1つの技術などへの強いこだわりがないんですよ。例えば、仮に蕎麦屋で修行していたら、こだわりの蕎麦しか提供しないかもしれません。会社「CAN」を人材教育会社と表現したのも、業務全体をしっかりと見て判断できる「人が育てば、商売はどれも一緒でしょ?」との考えからです。

「面白いことしかやらない」と決めて挑戦し続ける。

数店舗展開されている整骨院と、新たに始められた「千寿てまり工房」についても気になります。

身体を扱う事業に関わるきっかけは、某専門学校でケアマネジャーの資格講座を開講するお手伝いをした流れから、自分自身も介護系の資格を取ろうと決めて「柔道整復師」資格の勉強を3年間しました。資格が取得できるタイミングで、勉強仲間から「整骨院を作ってほしい」と頼まれて店舗を構えることになったんです(笑)。仕事をしたい技術者は周囲に多くいたので、人のつながりと勢いで3カ月で3店舗の整骨院を展開し、また同時に国家資格に不合格になった同級生がいたので彼らのために予備校も始めました。こだわりはないけど、やる意味があるから始めたんです。

その後、2011年の東北の震災がきっかけになり、地元・青森八戸の先輩に呼ばれ、整骨院の新人スタッフを連れて避難所での炊き出しやマッサージ支援を行いました。その際に現地ボランティアに来ている多くの学生とも知り合ったんです。

また、東北の支援を共にしていた女性から伝統工芸の「手まり」が、高齢化が進み生産が落ち込んでいるだけれど、何とかならないかと相談を受けました。それならば「事業化してみよう」と協力することにしたのですが、課題となったのは、手まりを売って継続的なビジネスにするにしても、地域の高齢者では生産量の確保ができないこと。そこでラオスの学校建設のNPO活動をしていた知り合いを通して、ラオス現地の人たちに作ってもらうお願いをしたところ大量生産ができたんです。早速、現地の人を雇用し作業所を作り、調達の準備をしました。また、私も現地に出入りする中で、特徴的なラオス産のコーヒーにも出会いました。

一方で、現在日本の20代など若い世代は、”手まり”そのものを知らないという人が多いのが現状です。それであれば用途を変え、クリスマスなどイベント用の飾りにしたり、アクセサリーにしたりと、使い方をアレンジしました。加えて、地域の会合で空き家となっている場所の活用方法を相談されていたので、ラオスコーヒーなどを提供する東北カフェ&ダイニングPOSSOと、その店舗の奥に手まりを製造する場所として「千寿手まり工房」を作ることにしました。

%e6%a4%8d%e6%9d%91%e3%81%95%e3%82%933カフェ店内を通り抜けた先に工房。手まりを天井に飾りアート空間としても活用している。

憧れる人柄なんですが、生まれつき行動的で、クリエイティブな思考だったんですか?

突破力は母親に似たのかもしれませんが、子どもの頃は人前で話はしたくない、おとなしい子でした。転機は、専門学校勤務の時代に講師にならないか、と誘われたことです。「1年間だけですよ」と渋々引き受けたのがきっかけでした。授業をする中で、講義をする以上に社会人生徒との関係性が楽しくなっていき、考え方も変わっていったと思いますね。

さまざまな事業の話を伺い、今後どのような展開があるのかワクワクします。最後に、会社として大切にしていることはありますか?

人との出会いの中で、必要だと感じたこと、面白いこと感じたことしかやりません。すべては人との出会いの中でのご縁から始まっています。

会社というよりはCANは学校という感じで今まで経営してきました。逆に言えば、私はそれしか経験上知らないから。社員一人一人が目標を考え、それを応援してくのが会社、社員は自由なようで案外大変かもしれません。100年企業を目指しているのですが、独立からまだ20年。これから80年先の世界を私は見ることができませんが、人を元気に、街を元気に、リスクを恐れず挑戦する姿勢が続くように、これからも私が経営を楽しんでいきたいと思います。

株式会社CAN 
2001年、株式会社CANを足立区北千住にて創業。現在、整骨院7店舗、飲食店2店舗、インターネット放送局を運営している。東北の地域づくり、東京都足立区千住のまちづくり、インターネット放送局を通じての人づくりを中心に活動している。

〒120-0026 東京都足立区千住旭町41-14 第一ビル6F
株式会社CAN http://www.cantop.jp/
インターネット放送局「CWAVE」 http://cwave.jp/

取材・写真:岡田紘幸

この記事を書いた人

岡田紘幸

動画編集者/カメラマン/パクチー愛好家。中国・上海やミャンマー現地の雑誌編集系の仕事を経て、数年間は日本で過ごす(東東京・御徒町で半年の生活)も転換期に。日本海外の多拠点生活を求め、今年後半からドバイ暮らし計画中。パクチー会を不定期に開催。愛称はパクオカ。