トップインタビュー「家族と一緒に生きる」ために逆算、ピアニストからガラス作家に

2019.07.03
「家族と一緒に生きる」ために逆算、ピアニストからガラス作家に

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リフレクトアート株式会社
代表取締役
福村 彩乃さん

台東区にアトリエ兼工房を構える、ガラス作家の福村彩乃さん。2013年から活動を始め、現在では「ayanofukumura」「福村硝子」という2つのアクセサリーブランドを展開していますが、実は前職が「プロのピアニスト」という異色の経歴の持ち主です。

表現方法を、音楽からガラスへ。福村さんは、新しい道を歩むと決めたときから「ガラスで生きていくんだ、という覚悟だけは人一倍でした」と言います。創業から今に至るストーリーを伺うと、そこにはアーティストやクリエイターが事業を育て、継続するためのヒントがあふれていました。

芸術を日常に取り入れるきっかけを届けたい

まずは、福村さんのガラス作家としてのこだわりについて伺えますか?

私は母が音楽家で、小さな頃から英才教育的にひたすらピアノをやってきて、大学院の音楽コース修了後はピアニストとして活動していたんですね。その経験を活かしたいなというのがあって、「ayanofukumura」というブランドは、「音を装うガラスのアクセサリー」というコンセプトにしました。

ガラスを扱う作家さんはたくさんいますが、ピアノ曲をイメージしたアクセサリーを作っている人はきっといないだろうなと。ブランドを立ち上げるときには、そういう私にできる“唯一のモノづくり”というのはすごく考えました。

たしかにウェブサイトに掲載されたコレクションを拝見すると、バッハやショパンの名曲をイメージした色とりどりの作品が並んでいますね。

曲によっても違うんですが、ピアニストとして活動していたときから景色とか感情とか、頭にはいつも曲それぞれの世界観が浮かんでいました。って、言葉にするとなんか恥ずかしいですが、私にとってはそれをピアノで表現するか、ガラスで表現するか。そこに大きな違いはないんです。

それに「芸術を広めたい」と言うとちょっと大げさですが、私自身が芸術にすごく救われてきたんですね。だから、もっとたくさんの人が、芸術を日常に取り入れるきっかけをつくりたいなという想いもあります。

「音の世界をガラスで表現するために、素材や加工方法にもこだわっています」と福村さん。

「音の世界をガラスで表現するために、素材や加工方法にもこだわっています」と福村さん。

芸術を日常に取り入れる。

そうです。たとえば、「この曲大好きだけど、それをイメージしたアクセサリーなの?」と買ってくれる方がいたり、ガラスが好きで商品を手に取った方が、「こんな曲をイメージしているのね。聞いてみようかな」と思ってくれたり。私たちの作品が、そういう機会になったらすごくうれしい。

家族の思い出の中心にガラスがあった

そもそも福村さんが、ピアニストからガラス作家に転身されたきっかけはなんだったのでしょうか?

きっかけは、家族ですね。

我が家は3人姉妹の5人家族なんですが、父が趣味でステンドグラス作家をしていて、年に1回個展を開くんです。そのときは母がデザイン画を描いて、それを父が製作して、長女の私と次女の妹が余ったガラスでアクセサリーを作っては父の個展で販売しておこづかいを稼ぐという、「家内工業」のようなことをしていて。

私はその時間がすごく楽しくて、この時間が当たり前に続くだろうと思っていたんです。でもその矢先に、次女が脳腫瘍で他界してしまって。

いつも身近にあった色鮮やかなガラスが、福村家をつなぐ大切な存在に。

いつも身近にあった色鮮やかなガラスが、福村家をつなぐ大切な存在に。

妹さんを亡くされた……とてもつらい経験をなさったんですね。

私以上に両親の落ち込みようが尋常じゃなくて。それまで、見たこともないような姿だったんですね。

そこで私がしっかりしなきゃって、お葬式も取り仕切りました。その際に参列してくださった方向けに何かお礼の品を作ろうと、両親や一番下の妹と話し合い、数カ月かけて家族総出でガラスの箸置きを1000個くらい作りました。そしてその時間が、私たち家族が立ち直るうえで大きな役目を果たしてくれたんです。

私にとってはピアノで有名になること以上に、「家族が一緒にいること」が一番大事なんだと、改めて気付くことができて。だったら、音楽じゃなくて、私たち家族の思い出であり、つながりでもある「ガラス」を一生の仕事にして、家族とつながって生きていこうと決意したんです。

大きな転機となったデザビレ&台東区との出会い

では、福村さんは創業の時点で「一生の仕事にする」と、心に決めていたわけですね。

そうですね。妹が亡くなったのが創業の2年ほど前、2011年なんですが、まず音楽の仕事を全部辞めて。とにかくガラス一本で生きていくために、一度技術や知識をきちんと学び直そうと、東京藝術大学大学院のガラス専攻コースの研究生として勉強することから始めました。

基礎を磨き直してからブランドを立ち上げたとなると、創業後は順調だったのでは?

いえ、それが全然うまくいかなくて……。覚悟だけは人一倍で、24時間ガラスのことだけ考えて。実家で作品を作り貯めては、週末は商品とテントを抱えてあちこちのフリーマーケットや手づくり市を回って手売りする、という活動を続けたんですが、闇雲に回ってもうまくいく訳もなくて。最初の1年間は報われない苦労ばかりでした。

でも、そんなときにクリエイターの先輩からデザビレ(台東デザイナーズビレッジ:台東区立のクリエイター創業支援施設)の存在を教えてもらい、運よくデザビレに入居できたことが大きなターニングポイントになったんです。

「ayanofukumura」は、創業当時も今もすべてが手づくり。アトリエで1点ずつ製作し、同じ商品は存在しないと言います。

「ayanofukumura」は、創業当時も今もすべてが手づくり。アトリエで1点ずつ製作し、同じ商品は存在しないと言います。

最初はフリマや手づくり市での販売から始められたんですね。

実はデザビレに入るまで、ファッション業界の知識が全くなくて。「展示会に出品して取引先と出会う」といった方法も知らなかったんですね。それが、アドバイスをくれる鈴木村長や切磋琢磨できる仲間と出会い、台東区の方々とのつながりも生まれました。

ここで色々なビジネスノウハウを学び、商品の販売先も開拓できたし、アクセサリー用の金具の仕入れはほぼ台東区で賄えて、商品づくりもできるようになった。本当にいいことだらけなんですよ、台東区(笑)。人生が変わる場所になったので、私の結婚パーティーもデザビレを会場にさせてもらったくらいですから。

どうしたら、きちんと成り立つ経営状態が実現できるだろう

「他の作家さんとは違うことをやろう」という発想も、デザビレ時代から考えていたことなのでしょうか?

正直、モノづくりで食べていくのは決して簡単ではないと思うんです。特に私の場合、どうしても家族と一緒にモノづくりがしたいと思っていましたし、それにデザビレ時代からすごく優秀な従業員をひとり雇っているんですね。「まりりん」って呼んでいるんですが、彼女をしっかり正社員として雇えて、家族の暮らしも担えるような、「きちんと成り立つ経営状態」が最初の目標でした。

だから、単に作りたいものを作るのではなく、「どんなアクセサリーがお客さんに喜ばれるか」「継続的に売上を上げるにはどうすればいいのか」は、当時からずっと考え続けていました。

きちんとした経営状態を目指す上で、「唯一の価値」に考えを巡らせたと。

そうですね。ガラスについても、他の作家さんとは違う活かし方ができないか、すごく考えました。実際、ガラスと言えばまず「透明感」をイメージする方が多いと思うんですが、うちはあえて透け感よりもガラス特有の「反射」を大事にしています。それも、NASAの加工技術を使って金属を薄くコーティングした色ガラスを使うことで、光や角度によって玉虫色みたいに色が変わるんです。

福村さんは、音楽や絵画の世界観を、ガラスの「色」「柄」「反射感」で表現。

福村さんは、音楽や絵画の世界観を、ガラスの「色」「柄」「反射感」で表現。

先ほど展示会の話が出ましたが、販路開拓についても意識した点はありますか?

どんな販売先が自分に合うのか、という視点は大事です。私の場合、はじめて商品を置かせてもらったのが東京藝大の中にある「藝大アートプラザ」なんですが、そこでとても好評をいただいて。「芸術にまつわる場所と相性がいいんだ」と実感しました。

その後、いいお取引先に巡り合えたことで、美術館や博物館のショップに商品を置かせてもらえるようになり、最近は美術館の企画展でコラボレーション商品を製作する機会も増えています。こうした独自の販路を開拓できたことも、他のブランドとの差別化につながっていると思いますね。

芸術の街・台東区から、たくさんの若手作家の活躍をサポートしたい

福村さんが目標にしていた「きちんとした経営状態」も無事にクリアできたのでは?

そう、そうなんです。おかげさまで売上は着実に伸びて、まりりんのことも正社員にできました。

それに、手頃な価格でたくさんの人にガラスのアクセサリーを届けたいと思って立ち上げた「福村硝子」の商品は、家族に全面的に協力してもらって製作しているんです。

なので、「家族とガラスでつながって、一緒にモノづくりをする」ということも達成できてしまって、一昨年あたりは何かやり切った感じがして、一度ぬぼーっとしてしまったんですよね……。

今までは自分だけの目標だったという福村さん。次は社会に役立ちたいと語ります。

今までは自分だけの目標だったという福村さん。次は社会に役立ちたいと語ります。

ぬぼー、ですか(笑)。今は何か新しい目標など見えてきたのでしょうか?

ここまで私を幸せに導いてくれたのは、芸術と仲間と家族の存在なんですね。でも、東京藝大でお世話になる中で、芸術の才能と能力があって「この道で食べていきたい」と思っていても、売上に変える方法が分からずに、全然違うアルバイトをせざるを得ない子たちをたくさん見てきました。

だったら、そうした人たちと世の中をつなげるお手伝いができないかなと。幸いにも、私は美術館の流通経路を持っています。若手作家の子たちにオリジナルの商品をつくってもらい、それを美術館に販売提案して、彼や彼女に売上を還元する。そんな仲介事業を新たに始めました。

これまでの経験を活かして、次の世代を支援していくわけですね。

私自身、たくさんの人に助けられ、救われてきました。お世話になっている台東区は、美術館がたくさんあるアートの街でもありますからね。恩返しの意味も込めて、今の私に提供できること、手助けできることはとことんやっていけたらなと思っています。

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「音を装う。音の形のガラスアクセサリー」。ピアノを弾くときに、キラキラと溢れてくる音の世界をガラスで表現しています。例えば、コンサートに行くとき、美術館に行くとき。少しだけアートを感じるガラスアクセサリーを身に着けて、出かけてほしい。そうすることで日常に彩りをそえられたらと願っています。
http://ayanofukumura.com/

福村硝子
福村硝子工房で作るアクセサリーはすべて、個性豊かな模様の板ガラスを制作するところから始まります。様々な種類のガラスを何層にも重ね合わせて積層し、焼き溶かしたのち研磨して再び焼き溶かし、 繊細な色合いを表現しています。ひとつずつ丁寧に作られたガラスは、どれも違った表情をしています。ぬくもりが感じられるカラフルなガラスアクセサリーで、みなさまの日常に彩りを添えることができればという思いを込めています。
http://fukumuraglass.com/

取材写真:樋口トモユキ

この記事を書いた人

太田将吾

ライター/コピーライター。これまで求人・採用などキャリアデザイン関連が中心だったが、最近はテーマがライフデザインに拡大。ユニークな企業・団体・人との出会いが増え、「趣味=取材」の公私混同系ライターとしては楽しい毎日。