TERAIcraftment 代表/デザイナー
武市 曉(たけいち・あき)さん
「自分の手を動かして誰かに届ける仕事がしたい」
そんな想いから、帽子づくりの世界に飛び込んだ武市曉さん。
美術大学を卒業後、浅草橋の帽子メーカーで職人としてアパレルブランドの帽子製作に関わった後、2014年に独立して自身初の帽子ブランド「TERAI craftment (テライクラフトメント)」を立ち上げました。台東デザイナーズビレッジへの入居を経て4年目を迎えた今年、台東区内にアトリエを構えました。
長らくメーカーに勤める生活をしていたところから、創業するという道へ。武市さんの帽子づくりへの想いや、創業して感じていることなどお話を伺いました。
明治時代、帽子の種類の名前で「タライ」というのがあったそうで、タライが独自に変化していって、「テライ」と呼ばれていたというのを知りました。それが頭の中にずっとあったのと、“手仕事を基にして”という意味を込めて、造語で「クラフトメント」とつけました。
ブランド立ち上げる前までは、浅草橋にあるメーカーで帽子をつくっていたのですが、当時はOEM(他社ブランドの請負生産)の仕事が製作のほとんどを占めていました。そんな状況の中で、年配の男性が選択できる帽子が意外と少ないのではないかと、はたと気付いて。もし私が帽子を作るならば、選択肢が少ない人たちに届けたいと、勤めながら漠然と考えていたんです。
それがブランドを立ち上げる際に、「40代男性向けの帽子」という明確なコンセプトとなりました。40代、50代そのさらに上の世代の方たちは、特に男性でよく見かけますが、ひとつ気に入った帽子があると、長いことかぶっていたりする方が多いんですよね。それならば、そんな方たちにもっと新鮮に楽しくかぶってもらえるものを届けたいという想いです。
値段で判断して購入するというより、素材の良さだったり、かぶり心地がよくてどこか安心感があるとか、奇をてらいすぎていないようにすることを意識して、つくっています。
大学時代は美術大学で、吹きガラスなどガラスの素材に特化したガラス工芸を専攻していました。卒業後もガラス工芸の作家さんのアシスタントなどをしていたのですが、たまたま知り合いから、「手を動かして何かをつくることを生業にしたい人を探している帽子メーカーさんがいるよ」と聞いたのがきっかけで。
アシスタントにもやりがいを感じてはいたものの、より世の中とも関わりを持つことがしていきたい、と思い始めたタイミングでもありました。このままでいいのだろうかと感じていたこともあり、ご縁を感じて就職することにしたんです。浅草橋にある帽子メーカーさんに入社して、そこで職人として12年程お世話になりました。
そうなんです。以前から帽子をつくるということへのこだわりがあったわけではなく、自らの手を動かして何かをつくる仕事で食べていける方法は何か…と探していたので、それがたまたま帽子だったということです。
昔から縫製が大好きで、家で黙々と何かを作っているような子供だったと両親から聞かされていました。きっとそんなことも原点にあり、帽子づくりにつながったのかもしれません。
2014年にブランドを立ち上げ、同時に台東区にあるデザイナーやクリエイターを支援する施設の「台東デザイナーズビレッジ(通称:デザビレ)」に入居しました。
デザビレでは3年間活動しました。そして、今年の春に同じくデザビレの近くの台東区内で、廃業した帽子メーカーの建物をお借りして、工房兼店舗をオープンしました。店頭では週末限定で、販売もしています。
ブランド立ち上げと同時に入居したので、ブランディングなども考えながらのスタートでした。裸一貫でという感じだったので、いろいろ叱咤激励がありながら教えてもらっていました。
その中では、「考え抜くことの大切さ」を教えてもらったと感じています。作ることに注力していたので、売るということについて頭ではわかっていても、どうしていくことがいいのか実感としてなかったんです。
デザビレに入居しているメンバーの悩みは共感する点も多くて、「どんなところで販売したか」ということだったり、現実的な話も多かったので、立ち話のつもりが1時間ぐらい話し込んでいたりするほど。入居している方たちとの交流があったのがよかったですね。私にとって、帽子製作や販売のヒントになる情報交換がたくさんあったと思います。
そうですね。デザビレに入居してから最初に販売する機会となったのは、吉祥寺のパルコさん(商業施設でのポップアップストア)でした。サンプルやカタログを作っていたところに出展について案内があったので、とにかくアクションしようと思って出展を決意して。でも、売上がゼロだったんです。
そこから、より危機感を感じるようになりました。商品は大きく変らないのになぜか…何ができていないのかと考えて、「伝えきれていない」と気づいたんです。
伝えるために必要なのは、まずビジュアル。私1人の力では限界もありましたし、カタログや撮影をプロの方に依頼するようにしました。帽子の魅力を「伝える」ためにビジュアルにこだわり始めたところから、通販でも売れるようになっていきました。言葉よりもダイレクトに、帽子のビジュアルイメージを伝えるように試行錯誤したのが、よかったのかなと思っています。
いいこともたくさんあるし、一方で大変と思うこともたくさんあります。予想外のことは起きますし、ちょっとした事務的な作業も全部自分でやることはどれだけ大変かということもあります。
全部自分で決断して、その結果を引き受けるということが、最初は不安で悩んでいましたね。場数を踏んで解消していきました。出展したり、デザビレにいたときは断らずに全てをやろうと動いたりしたことで、何に集中して大事にすべきなのかが見えてきていると感じています。
日々大変なこともありますが、全体的に楽しんで活動できています。いい経験ができていると実感していますよ。想いを持って創業してよかったと思っていますね。
バックボーンでいうと、私は横浜の郊外育ちだったのですが、生活と商売が分離しているような環境だったんですよね。家は家だし、両親の職場も近いわけでもなく。
台東区にきて衝撃的だったのは、すごく生活と商売が密だったことです。
最初に入社した会社も企業とはいえ、家族経営の会社だったというのもあるかもしれませんが、仕事と家庭が密接なんですよね。お昼の休憩でも、仕事の話を普通にしながら楽しく過ごして、繁忙期にもなると夜に近くのラーメン屋さんに行って、「がんばろう」って言いながら乗り越えていったり。同じ釜の飯を食べながらの仕事生活はかけがえのない時間でした。私にとってそれが新鮮だったんです。
そんな働き方に惹かれたところはあったかもしれないなと、今では思います。だからこそ、創業といってそれほど違和感を感じずに挑戦できたなと思っています。
とにかく、地道に続けていきたいと思います。
浅草橋のメーカーで帽子づくりを学び、デザビレでの経験も経て、台東区に強い縁を感じています。この場所でできる限り続けていくことが当面の目標です。
そして、帽子で私の想いを表現する以上に、どうやってその人にかぶってもらえるかかということを考えていきたい。その人になじむ、ありそうでなかった帽子をつくっていきたいです。これからも新鮮で楽しくかぶっていただけるものを、届けていきたいと思っています。
写真:イシバシトシハル
フリーライター。新卒で大手鉄道会社に入社し、営業や開発部門を経験。2017年より“働く人が生き生きとできる、背中を押せることをしたい”とフリーライターとして活動を始める。記事執筆のほか、地域や人を応援できる場づくりも行っている。