SOL’S COFFEE(ソルズコーヒー)
オーナー 荒井利枝子さん
都営浅草線蔵前駅から徒歩3分、ビルとビルの谷間に、「SOL’S COFFEE ROASTERY(ソルズコーヒーロースタリー)店」はあります。流行に左右されず、何杯も飲めて、時間が経っても飲みやすいすっきりとした味わいが特徴のコーヒーにはファンが多く、遠方からもわざわざ人が訪れるほどの人気店です。
店舗名の「SOL」とは、「セレンディピティ・オブ・ライフ」の略称。セレンディピティというのは「偶然に幸せを発見する才能」という意味です。
「400円のコーヒーを注文されたお客様に、400円分の満足を感じていただくのは、私たちが当たり前にやらなくてはならないこと。コーヒー代プラスアルファの“何かいいこと”を提供できるお店にしたいと思い、セレンディピティという言葉を店舗名に入れました」と、オーナーの荒井利枝子さんは話します。
初対面のお客様同士が共通の話題で盛り上がったり、「コーヒーが苦手だったけど、ここのコーヒーは飲めた」と話してくれるお客様がいたり……。日々、小さなセレンディピティが生まれているソルズコーヒーロースタリー店で、荒井さんにお話を伺いました。
インテリア専門学校に通っていた2009年にリーマン・ショックが起き、内定を取り消されたことが起業のきっかけでした。内定先が第一志望だったので、そこからもう一度就活する気になれなかったんですね。
そんなとき、ある同級生に「卒業したらどうするの?」と聞いたところ、「起業したいんだよね。親父の焙煎したコーヒーを、売ってみたいと思ってるんだ」という答えが返ってきたんです。彼のお父さんが、趣味で焙煎の研究をしていたんですよ。
学生時代、ずっとコーヒー屋でアルバイトをしていた私は、「面白そう! それなら手伝えるかもしれない」と思い、友人と一緒にコーヒー屋を始めることにしました。
最初は店舗を構えずに、フードトラックをリースして、青山や代官山、中目黒あたりで移動販売を行っていました。私は葛飾区出身なんですが、当時は下町育ちということに劣等感があって……。東京の西側で勝負したいという思いが強かったんです。
ところが、いざ移動販売を始めてみたら、私がイメージしていたコーヒー屋とはちょっと違っていました。それまでコーヒー屋というのは、毎日のように常連さんがいらっしゃって、「いつものお願い」と言われる場所だと思っていたんですね。
でも、移動販売はその時々で場所が変わってしまうので、そういったやり取りをするのが難しい。地域に密着した店舗運営をしたいと思っていた矢先、ご縁があり、新小岩の駅から徒歩30分くらいの場所を紹介していただくことができたんです。
ソルズコーヒーでは、生豆から欠点豆を取り除く「ハンドピック」を必ず2回行います。コーヒー屋さんは、皆さんハンドピックをされていると思いますが、その精度をより高く設定するのが私たちのこだわりです。
1kgあたり1時間ほどかけ、豆の両面を見て、熟しきっていない豆やカビた豆、割れてしまっているものなど形の悪いものを取り除く。そこまでする理由は、欠点豆が1粒入っているだけで、50粒に影響すると言われているからです。
50粒というのはコーヒー1杯分に相当します。つまり、その1粒を取り除かないだけで、雑味やえぐみを感じる、胃に負担をかけるようなコーヒーが1杯できてしまうんですよ。ソルズコーヒーのコンセプトは「毎日飲んでも体に優しい」。掲げている看板が嘘にならないよう、開店当初から今もスタッフ一丸となり、時間をかけてハンドピックを行っています。
新小岩店をオープンしてしばらく経った頃、コーヒー屋を一緒に始めた友人が「SOL’Sに将来性を見出せない」と言って代表を降りてしまいました。私は、一度始めたからには意地でも10年続けると決めていたので、彼に替わって代表に就任し、アルバイトを雇って営業を続けたんです。
その後、専門学校時代の友人から「2坪のコーヒー屋に興味はある?」と誘いを受けて、蔵前にコーヒースタンドをオープンしました。つまり、友人が蔵前との縁をつくってくれたんですね。
その後、ネットニュースに蔵前のスタンドを取り上げていただく機会があり、それがきっかけで、某有名スポーツメーカーのオフィス内にも店舗を構えさせてもらえることになったんです。蔵前にあるプロダクトデザインショップ「KONCENT」の中にもお店を構え、ロースタリー店の開店準備も始めました。2014年のことです。
そう思いますよね。ところが翌年4月に、当時5人いたスタッフのうち3人が同時に辞めてしまったんです。
今思えば原因はいろいろあると思いますが、私がスタッフに頼りすぎていたり、良いリーダーではなかったりしたことで、3人同時に「今日限りで」と言って店を出て行ってしまいました。5人で5店舗を回していたので、人がいなければ店が開けられないのですが、当時の私は引き止めることができませんでした。これが過去最大のピンチですかね。
なんとかスタッフを補充しましたが、結局、新小岩店をクローズすることに決めました。ロースタリー店の工事もなかなか進まず、無理が祟ったのか、病気にかかり入院することになってしまって……。2015年は私にとって厄年。毎日お店に立つのが怖くて怖くて、不安と戦っていました。
でもそんなときに、お客様や近所のお店の皆さんが激励の言葉を掛けてくださったんです。今もこの街でお店を続けているのは、そういう方々との出会いがあったからですね。
スタッフが一気に辞めたあとも、できるだけ早く全店舗を再開し、継続することを目指していました。意地になりすぎていたんですね。
そうやって周りが見えなくなっていたとき、KONCENTを運営するアッシュコンセプトの名児耶秀美社長に、「選択と集中」と言われたんです。その言葉を聞いて、店舗数が増えた分、1つ1つの店舗への思い入れが減ってしまったんだなと反省しました。名児耶社長は、そんな説明はしてくれなかったんですけどね(笑)。
経営者って、自分で決めて、自分で責任を取らなきゃいけないので、すごく孤独な立場なんですよね。でも蔵前には、励まし合える同級生のような経営者や、頼れる上級生のような経営者がたくさんいます。いい意味でプレッシャーを感じるし、安心感もある、まるで大きい学校のような街だなと思っています。
少し前に、新小岩店が開店7周年を迎えました。2015年に店舗をクローズしてしまったので、今のスタッフもお客様もそのことを知りません。でもその日、ロースタリー店の外のベンチに「7周年おめでとう」というメモが置いてあったんですよ。
実は新小岩店のお客様が、KONCENTで働いているんですが、どうやらその方の心遣いだったようです。泣く泣く閉めた新小岩店のことを覚えてくれていて、今までお店を続けてきたことが報われたと思い、うれしかったです。
会社を長く続けられるかどうかは、人のアドバイスを素直に聞けるか否かにかかっていると思います。一人よがりになってしまうと、そのうち誰からもアドバイスをもらえなくなってしまいますから。
あとは、鈍感力も大事ですね。今週の売り上げが良くなかったとしても、1年通して見たときにプラスならいい。そう思わなければ、不安が増すだけです。雪の日が3日続いて売り上げがゼロだったときも、私は明日のお客様の笑顔を信じて仕込みができました。
〒111-0053東京都台東区浅草橋NI Building3-25-7
http://www.sols-coffee.com/
写真:吉田 貴洋
下町住まい7年目の雑食系ライター。仕事人の情熱を適切な言葉に落とし込み、必要としている人に届けることをめざし、トヨタOPEN ROAD PROJECTやコーヒーマシンのサイトにてコラム記事を執筆中。