トップインタビュー「小さなブランドゆえに変化できる」 吾妻橋のたもとから“和ポップ”な装いを提案!

2018.01.24
「小さなブランドゆえに変化できる」 吾妻橋のたもとから“和ポップ”な装いを提案!

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KILLYEDNA(キリィエドナ)
代表 高橋 華子さん

銀座線浅草駅を降りて吾妻橋を渡り2分ほど歩いた場所にある、2階建ての小さなビル。このビルの2階に、高橋華子さんが経営するバッグと布雑貨のブランド「KILLYEDNA(キリィエドナ)」のアトリエショップがあります。

ショップの棚には、和柄やベロア、蛍光色など、テイストの違うクラッチバッグやターバンがずらり。色とりどりの商品に目を奪われながら、棚の向こう側をのぞき込むと、そこに高橋さんの作業スペースが広がっていました。

大量の布とミシンに囲まれたアトリエで、創業に至る経緯やブランドの成長過程、事業を継続させるコツについて伺いました。

「あなたの服は外国人じゃなきゃ売れない」と言われて

高橋さんはキリィエドナを立ち上げる前、アパレルのメーカーなどで働いていたのでしょうか?

私は、実はアパレル企業で働いた経験がないんです。高校卒業後に家を出て、23歳のときに縫製の学校に通いました。在学期間は1年間でしたが、朝の8時から夕方の5時まで授業がある厳しい学校でしたね。

卒業間近になると、さまざまな会社から就職のオファーがきましたが、縫製工場かパタンナーばかり。今思えば、縫製の学校なので当たり前ですが、私が望む仕事のスタイルとは違うと思いました。どのような仕事の仕方が自分に合っているか考えようと思って、就職をせずに卒業したんです。

その後すぐに結婚をして、26歳のときに子どもを産みました。当時はインディーズブランドの全盛期で、私も子育てをしながら服を作り、インディーズの服飾デザイナーとして卸や委託などで洋服を販売していましたね。作れば売れるという感じで、赤字になったことはありませんでした。

20代後半は子育てをしながらインディーズのデザイナーとして服を販売していた

20代後半は子育てをしながらインディーズのデザイナーとして服を販売していた

服からバッグに転向した理由とは?

私は昔から海外のデザインが好きで、胸元の開いた服や体のラインにピタッと沿う服を作って、飛び込みで営業していました。でもあるとき、女性のオーナーの方から「あなたの服は外国人じゃなきゃ売れないわよ」と言われて……。

確かにそうだと思い、スタイルや体のサイズに関係なく使ってもらえるバッグを作り始めたんです。京都に住んでいた友人と2人でバッグのブランドを立ち上げることを決めて、2008年に「キリィエドナ」をスタートしました。

子育ての経験をもとに“ママが使いやすい”商品を開発

最初に作ったのはどのようなバッグだったのですか?

最初に作ったのはトートバッグです。

赤ちゃんを育ててみて初めて知ったことですが、赤ちゃんって荷物のように床に置いておけないんですよ(笑)。だから、赤ちゃんを片手で抱えながら、中のものを取り出せるトートバッグがあればいいと思っていました。

私が子どもを産んだ当時は、床に置いてもクタッとしないバッグの大半がアウトドアブランドのものでした。アウトドアブランドのデザインは、あまり私の好みではなかったので、自分で作ることにしました。

キリィエドナの代表作、自立するトートバッグ(M・Lの2サイズ)

キリィエドナの代表作、自立するトートバッグ(M・Lの2サイズ)

なるほど。トートバッグのほかには、どのような商品を?

よだれかけも、自分のニーズから作り始めた商品です。キリィエドナのよだれかけは、綿とガーゼとナイロンの3枚構造で、服に汚れが染み込みにくい造りになっています。また、サイドの紐を赤ちゃんの背中で結ぶと反転しません。

購入していただいた方からは「何度も着替えさせる手間を省けて助かる」と言われることが多いですね。生地が分厚いと赤ちゃんが汗をかいてしまうので、できるだけ薄い生地を重ねるようにしているのも特徴です。ブランドのメインとは離れていますが、よだれかけの開発はいわば私のライフワーク。これからも作り続けていくと思います。

ポップな柄のよだれかけは、縁取りのバイアステープもオリジナル

ポップな柄のよだれかけは、縁取りのバイアステープもオリジナル

お客様のひと言がきっかけで「和」を意識

ブランドを立ち上げて今年で10年を迎えますが、最近は和装小物にも注力していますね。

そろそろ新しい形のバッグを作りたいと思って、2014年にクラッチバッグを作り始めました。その年の夏に、販売イベントで購入してくださったお客様が「これ、浴衣に合わせよう」と仰ったんですよ。私は洋服に合わせることしか頭になかったので、「そんな合わせ方があるなんて!」とからウロコでした。

そのひと言をきっかけに、初めて自分用の浴衣をあつらえて、クラッチバッグを持って街に出てみたんです。そうしたら「そのバッグ、どこの?」と多くの人に声をかけられました。

クラッチバッグはカジュアルからフォーマルまでさまざまな柄をそろえる

クラッチバッグはカジュアルからフォーマルまでさまざまな柄をそろえる

和装を意識したことで、デザインも変わっていきましたか?

日本の人はシックなデザインが好きですよね。着物も、裏地をめくると錦糸を織り込んであるなど、さりげない華やかさを好む人が多い。最初は洋服とのマッチングを考えてポップな布地ばかり使っていたんですが、思い切って舵を切り、この3年でデザインがどんどん渋くなっていきました。ブランドとして、がらりと変わることが良いことかどうかは分からないですが、小さいブランドだからこそできる芸当かもしれません。

アトリエで作業中の高橋さん。最近では古着の帯や着物をほどいてバッグに仕立てることも多いそう

アトリエで作業中の高橋さん。最近では古着の帯や着物をほどいてバッグに仕立てることも多いそう

今後もしばらくは和雑貨に注力していくのでしょうか?

この3年間で、帯や着物を使った和雑貨のラインを立ち上げて、和に挑戦したい人の層がすごく厚いことに気付きました。

きちんとした和装ではなく、「浅草に行くから和小物を取り入れたい」など、和の気分を楽しみたい人は多いんです。和に興味を持った人に「キリィエドナのバッグならかわいいし、洋服に合わせても使いやすい」と思ってもらえるブランドに育てていきたいですね。

東東京では、人とのつながりが財産

事業成長のために意識していることがあれば教えてください。

私は企業で働かずにブランドを立ち上げてしまったので、疑問や質問があればどんどん人に聞くようにしています。

自分の想像できる範囲って、決まっていると思うんですよ。2013年に展示会に出展し始めましたが、自分1人では解決できないこともありましたし、展示会向けの補助金があることを教えてくれる人もいました。恥ずかしがらずに人に聞くことが、成長への近道だと思いますね。

「分からないことは人に聞きます。考えていたらいつまでも分からないまま」と話す高橋さん

「分からないことは人に聞きます。考えていたらいつまでも分からないまま」と話す高橋さん

最後に、東東京で創業したい人に向けてアドバイスをお願いします。

東東京で創業したい人は、人のつながりを得ることが大切です。そのためにも、東東京エリアで一度勤めてみてはいかがでしょうか? 例えば、文房具のデザイナーとして独立したいなら、一度カキモリさんで働いてみるのもいいと思います。

それから、イベントに参加して情報交換することも、創業の足がかりになります。イベントやセミナーに出て知り合いが増えると、物件の空き情報なども教えてもらえますから。私も人のつながりをもとに、3年前にアトリエを移しました。駅から近い観光地の一角なので、お客様の流れが変わりましたし、とてもいい決断だったと思います。

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KILLYEDNA(キリィエドナ)
2008年に創業した、東京都墨田区にアトリエショップを構える布小物とバッグのブランド。デザイナー・高橋華子が国内外でビンテージなどの布地をセレクトし、1点ずつ丁寧に製作。遊び心や喜びを大切に、赤ちゃんから大人まで魅了する商品を手掛けている。
〒130-0001 東京都墨田区吾妻橋1-16-5-2F
http://killyedna.com/
(写真:イシバシトシハル)

この記事を書いた人

佐藤由衣

下町住まい7年目の雑食系ライター。仕事人の情熱を適切な言葉に落とし込み、必要としている人に届けることをめざし、トヨタOPEN ROAD PROJECTやコーヒーマシンのサイトにてコラム記事を執筆中。