株式会社Backpackers’ Japan
執行責任者/COO
宮嶌 智子さん
東京と京都で4つのゲストハウスを展開する「Backpackers’ Japan」。2010年2月、同じ1985年生まれの4人が集まって設立した同社は、旅人を包み込むような居心地の良い空間と細やかなサービスでファンを増やし、70名以上のスタッフを抱えるまでに成長しました。
この成功は、若さを武器にした熱い想いだけでなく、確かなビジネス感覚と入念な準備、時を経てもブレないコンセプトなど、さまざまな要素によって支えられています。
設立から8年目を迎え、彼らはどんな未来を見ているのか? 立ち上げメンバーのひとりでもある宮嶌智子さんに伺いました。
古民家をリノベーションしたtoco.(台東区入谷)。バーラウンジは、宿泊者だけでなく、近所の人も気軽に立ち寄れる。
実は、最初からゲストハウスをやると決まっていたわけではないのです。もともとは、代表の本間貴裕が「好きなやつらと好きなことがしたい」と他のメンバーに声を掛けたことがきっかけです。
本腰を入れて事業をやると決心してからは、4人で暮らしながら、どんな事業にするか毎晩のように話し合いを重ねました。そして行き着いたのが、「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を。」というコンセプトであり、ゲストハウス事業だったのです。
事業プランの立案と並行して、フランチャイズ展開する鯛焼き屋を4名それぞれが運営して事業資金を貯め、1号店「toco.」(台東区入谷)で実績をつくり、2号店「Nui.」(台東区蔵前)オープンのための資金を調達しました。
私自身も新卒で入社したばかりの会社を辞めての挑戦でしたから、周囲からは「そんなに甘くない」、「うまくいくのか?」という声もありました。でも今になって思うのは、丸7年にわたって経営を経験しても、まだ30代前半。まったく新しいことにでさえ挑戦できる年齢だと思いますから、若いうちに起業して本当によかったなと思います。
起業から今まで続けられた理由のひとつは、起業メンバー4名が横並びではなかったからだと思います。あくまで代表の本間が描くビジョンを共有して、その理想形を目指していくことが私たちの役割です。もちろん、シビアな経営判断が求められる場面ではケンカもしましたが、お互いを信頼していますし、最終的に決めるのは代表という構造も明確なので、創業メンバーが多いということが障害になることはありませんでしたね。
週末にはライブイベントなども頻繁に開催する蔵前の「Nui.」。外国人も多く、異国に来た雰囲気を味わえる。
toco.をオープンする前には、世界中を回ってさまざまな宿に泊まり、そこで旅人がどんな気持ちで宿に泊まるのか、どんなサービスを受けたらうれしいのかを自分の肌で感じました。
toco.とNui.をそれぞれ入谷と蔵前にオープンさせたのも、大きなバッグを抱えて来日した旅行者は、一刻でも早く宿に荷物を下ろしたいはずだと思ったからです。成田・羽田からのアクセスが良い東東京は、空港と観光地をつなぐハブ的な役割を担える場所なんです。
ゲストハウスの大きさによって提供すべきサービスは違いますが、ゲストの名前を覚えて「今日どこへ行くの?」、「分からないことはない?」とさりげなく聞くようにしています。自分のことを知っているスタッフがいるというのは、旅人にとってはとても心強いことです。家に帰ってきた時のような空気をつくろうと思ったのも、世界一周で得た実感からです。
私たちにしかできないサービス、私たちがやる意味がある事業に、こだわっていこうと思っています。
東京以外で初の出店なった京都・河原町の「Len」。
現在は総勢75名のスタッフがいますが、その規模によってあるべき会社の構造がまったく違うはずです。スタッフのやりがいを叶え、その家族を養うための給料をきちんと生み出すために、つねに危機感を持って組織構造や社内制度を修正しなければいけないと思っています。
まだまだ試行錯誤している最中ですが、これまでにも、サービスマニュアルの作成、評価制度や出退勤管理システムの導入など、必要に応じてどんどん変えるように意識してきました。一方で、4号店として今年3月に東日本橋にオープンした「CITAN」では、音楽イベントをレギュラー化し、フードを充実するなど、チャレンジングなこともやっていきます。常に私たちらしいエッジを効かせながら、攻めと守りを忘れないようにやっていきたいですね。
実は、今はビジネスのゴールはないんです。
もともと複数店舗を展開することは考えていましたが、このまま5号店、6号店を日本で展開するかどうかも分かりません。1号店のtoco.から2号店のNui.で収容人数が4倍になり、その2年後に3号店(Len)を京都に出していく中で景色がどんどん変わっていきました。
CITANは130人収容規模のゲストハウスですから、また見える景色が変わっていくと思います。その景色を見て、代表が何を思い、どこへ向かおうとするのか、それ次第でゴールも変わってきます。でも、これだけゲストハウスが増えているなかで、私たちがやる意味がなければ継続も難しいですから、慎重な判断が必要だと思います。
今後もいろいろな可能性があると思いますが、「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を。」というコンセプトだけは常に忘れず、私たちだからこそ提供できるサービスを追及し続けていきたいですね。
コピーライター。群馬県桐生市に住み、東京とのデュアルライフ実践中。ものづくり支援が盛んな東東京の先進的な取り組みを、繊維産地である地元企業のブランディング、販促支援にフィードバックすべく送り込まれたスパイ。